この世に生まれる魂には「今世ではこうしよう!」という目的があって生まれてきます。
その目的を達成するために必要な肉体と環境を選んで生まれてくるのです。
なので、その目的がある程度達成できるまでは死ぬことはありません。
死ぬような病気や事故にあっても一命を取り留めた方はまだ今世で為すべきことが残されている人であり、
健康そのものであったのに突然の事故や病気でなくなった方は今世での目的を既に果たされた人なのです。
中には周りの人たちにそこから何かを学ばせるために「死ぬこと」そのものを目的として生まれてくる人もいるでしょう。
魂の目的を達成するのに、年齢や時間の長短は関係ないのです。
ですから、もしも大切などなたかを亡くされていて、今も尚傷心中の方がいらっしゃるのなら、その方の魂が次に行いたいことを実行するために必要な肉体を取り替える“着替え前”に立ち会ったと考えるのはいかがでしょうか?
“その肉体”で行われるべき課題は既にクリアされていて、“次に行うべき課題に適切な新たな肉体を得るため”に肉体でいうところの“死”を迎えたのです。
亡くなられた方の次の人生がもう既に始まっているかどうかはわかりませんが、次の人生も課題クリアのために頑張っているのだなと思えば少し、寂しさが紛れるような気はしませんか?
遺された私たちには、まだやるべきことがあります。
一足先に次のステージに向かっていった大切な方々のバトンをしっかりと受け取って、自分の今の肉体で出来る最大限を目指して行きましょう。
その方と出会い、その方と経験したことが今のあなたの血肉となっています。肉体がなくなってもその方と関わった過去は揺るがない。
あなたという存在と一瞬でも交わったなら、その方の魂はあなたが生きている限り、あなたと共に生きているのです。