魂がどこからやってくるのか、輪廻転生とはなんなのか。
魂がこの世に生まれてくるのは、魂の成長を促すためなんだよ、ということをお話してきました。
では、「死ぬ」ってどういうことを言うのでしょうか?
一般的には肉体の死のことを「死んだ」と言うのでしょう。
肉体を持つ3次元の世界では、生まれてから死ぬ。
“生まれる”が《START》で、“死ぬ”が《END》。
これが一直線上にあって、肉体がない時期を無視して捉えられています。
だから、「人が死んだらどうなるの?」と考えたときに、先がないように思えて怖いのです。
けれども肉体ではなく魂を基準として考えれば、肉体の死を終えても魂は肉体を乗り換えて次の生へと続いていきます。
終わりがあるのは肉体だけで、魂に終わりはないのです。
しかし私は、精神的に「死んだ!!」と思ったことが何度もあります。
確実にそう思ったのは宇宙コアへ行ったときだったのですが、それまで30年ちょっと培ってきた《自分》であったものの価値観全てが“ベリッ!!!!!”と音を立てて剥がれ落ちたような感覚になりました。
「あ~…ゆうこ死んだわ……」って、本気で思いました。
その時は本当に自分が何ものであるのかわからない状態になりましたし(確実にそれまでの“ゆうこ”ではなくなったという自覚だけがあった)、一人称も何故か「俺」になってましたしね……(普段は「私」です)。
一人大混乱の中で、“あぁ、もう元には戻れないな”、って思いました。
実は今も戻れていないんですけど――つまり、価値観の脱皮をしてしまったわけなんですね。
突然価値観の話になってしまいますが、そもそも“価値観”って、どうやって培われるのでしょう?
実際に身体を使って得た経験や、書物等を読んで頭の中で構築していったものがその人の価値観となっていきます。
普通はそういうちょっとした僅かばかりの変化が日常的に起こっていて、自分自身「変わった」という自覚なくミリ単位で徐々に変化が起きていると思います。
が、あるとき突然、何らかのきっかけで雷に打たれたように物事の見え方が変わるときがあります。
それを私は“精神的な死”だと思いました。
価値観の突然の変化から精神的な死を迎えたとき、まるで生まれ変わったかのように自分の身の周りの世界がこれまでとは違って見えてきます。
そのときに私は、“生まれるためには死ななければならないんだ!”と、はっと気づきました。
肉体は一回死んだらそこで終わりだけれども、自分の人生の中で魂の成長を続けるためには、精神的にどんどん死ぬべきなのだ!!と。
……でも、よくよく考えればその劇的な変化だけではなくて、小さな変化でもそれが起こる前と起きた後の自分は違う自分なんですよね。
始め、AとBを比べてAを良しと思っていた自分と、何らかの経験を通してBの方が良いと思った自分。
これは、時間を切り取って並べれば《Aが良いと思う自分》と《Bが良いと思う自分》の異なる二人の自分です。
《Bが良いと思う自分》になったときに、《Aが良いと思う自分》はどこかに行ってしまっています。
つまり、《Aが良いと思う自分》は死んでしまった、もしくは、脱皮し終えた後の抜け殻になったんですね。
こうした小さな死を繰り返して脱皮をするように魂は成長していくのです。
生まれなければ死ねないのと同様に、死ななければ生まれ変わることは出来ない。
生と死は切り離せず、どちらが良いも悪いもない。両方がないと、存在も成長も、することが出来ないのです。